私が、常に、クライエント「様」と書くのは、
それはクライエント様を、師と思い、
深い敬意をもって接しているからです。

なぜ、師なのか。

それは、クライエント様は、
カウンセラーという見ず知らずの人間に対し、
自分が体験したこともないような出来事、苦難、それに伴う感情を、
自分が知り得もしなかった世界を、教えて下さる存在であるから、です。

それをして頂けるからこそ、
一緒に考え、悩ませて頂くことが、できるのです。


例えばですが、あなたは、
クライエント様が抱くほどの「死にたい」という深い感情や、
「吐くほど、さみしい」という孤独を、感じたことがありますか?

例えばですが、
住宅ローンでもない借金を1000万以上背負う恐怖を
感じたことがありますか?

例えばですが、
そういった感情を行動化してしまうほどの苦しみを、
味わったことが、あるのでしょうか?

例えばですが、
東尋坊や樹海に赴く方々のような苦を、感じたことがあるでしょうか?

正直、心理士を目指されている方の中には、
ここまでの体験をしたことがない方も、たくさんおられるはずです。

そんな体験をしたこともないカウンセラーに対し、
自分にだけひっそりとお話を教えて頂けることが、
いかに大きなことなのか。

クライエント様にとっては、それをお話すること自体も苦しいことなのに、
それを私共に対し、わざわざ語ってくださる。

そのことに、敬意を感じることができないカウンセラーは、
どうしても、奢り(おごり)が出てくるものだと私は思います。


カウンセラーは、
「クライエント様の世界観を聴かせて頂ける・見せて頂ける、
それは大変にありがたいことなのだ」という姿勢で、
常にクライエント様に対しこうべをたれる所存であって頂きたいと思います。

そして、その敬意があってこそ、共感に力を注ぐことができ、
全力でクライエント様のお役に立とう、というエネルギーが湧き、
それがクライエント様に態度・応答をもって伝わっていくものだと思うのです。

金森は、ご不安の強い方には、それを、言葉でも伝えます。
「私が全力で、お力になります」と。
「役所や病院が怖かったら、必要ならば、一緒に行きましょう」と。
そこまで必要なケースも稀にある、ということです。

圧倒的な知識を持っているからと、
カウンセラーの側が偉ぶるなぞ、勘違いも甚だしい。

はじめてクライエント様の世界観を聴かせて頂いたところで、
初回から、さぞわかったようなことを応答するなぞ、さらに言語道断です。

こういうところがありますよ、という情報だけを与えるカウンセリングも、
事務的でカウンセラーとして心が無く、致命的です。

クライエント様を師と考え、敬意をもって関われば、
クライエント様の本当のニーズをつかもうと、心で関わろうと、
必死になれるはずなのです。


自分の体験してきた世界観なぞ、ちっぽけなもの。
そういうつもりで在れば、おのずと、クライエント様は師となるはずなのです。

カウンセラーは、クライエント様がお話してくださることに、
そして、お越しくださることに、常に、感謝すべきです。

私は前述しました。
自分を本当の意味でカウンセラーにしてくださるのは、クライエント様なのです、と。
このもうひとつの意味は、これなのです。

クライエント様が、自分の知らなかった苦難の世界を教えて下さる。
それがあってこそ、初めてカウンセラーにさせて頂けるのだ、ということなのです。

クライエント様が、自分というカウンセラーを選んで下さった。

そして、お話してくださった。

それは、私共に、クライエント様のそばに、たたずむ権利をくださることです。

関わらせて頂いている。

そういう意識を、常に大切にしているべきだと私は考えています。

一度選んで頂いたら、いつまでも選ばれているわけではないんです。

効果を感じて頂けなければ、クライエント様は、離れていきます。
当然のことです。

1回・1回が、大事なクライエント様の時間なのですから、
1回・1回ごとに、常に何がしか必ずクライエント様のお力になるんだ、
そういう意識を忘れないで頂きたいと思います。

 

「先生は、お仕事ではどうやら、完ぺき主義のようですね(笑)」と
コメントを頂くことがありました。

その通りです。

私はこのブログを、最初から、自戒の意味を込めて書いております。

書いている人間ですら、
完ぺきを目指しても、できないのです。

わかっていても、できるものではありません。

「知っている」ことと、「できる」ことは、違います。

これだけのものを目指していても、できないから、書いているのです。

どんなに鍛錬しても、
完ぺきなカウンセラー・完ぺきな人間には、決してなれません。

カウンセラーは、単なる人間なんです。

万能ではないのです。

けれど、完ぺきになれないからこそ、
せめて、こう在るべきつもりで、鍛錬して頂くことが望ましいのです。

私とて、現場で一人のクライエント様も害したことがない、なんて、
決して言えません。

お役に立てなかったケースが、たくさんあるのです。

自分が至らなかったケースが、たくさんあるのです。

真にわかってあげられていなかったケースが、たくさんあるのです。

だから、どうしても、しょっちゅう、自分が役立たずに感じ、
辞めたくなります。

わかっているのに、できないのです。

10年やっても、そんなレベルの自分に、嫌気が差します。

逆に、10年やったことで、下手になっている気がすることもあるくらいです。

だからこそ、私は可能な限り、初心に帰るようにしています。

そして、初心に帰って基礎から再び鍛錬するのです。

カウンセラーは、特段かっこよくもなんともありません。

やっぱり単なる人間でしかありません。

自己万能感を持っているカウンセラーは、恐ろしいです。

常に、自分は万能なんかではない、ということを自覚して頂きたいです。

どんなに鍛錬を積んでも、自分の能力を、勘違いしないで頂きたいのです。

過信というものは、大変恐ろしいです。

どんなに勉強し、どんなに臨床を重ねても、
全てのクライエント様に、パーフェクトに対応できるかのような錯覚を
決して起こさないで頂きたいと思います。

 

カウンセリングを学ぶのは、何歳でもできます。

また、一般的には、若い頃の方が何にでもチャレンジしやすい。

しかし、カウンセラーという「仕事をする」となりますと、
一転して、若さは、敵となります。

「若い」というだけで、クライエント様から選ばれづらくなるのです。

年の功といいましょうか、
人は、人の年齢で、その人の経験値を計っているところがあります。

50歳くらいの人を見たときに
「この方には高校生くらいのお子さんがおられるのかなー?」と
勝手に想像されるのと同じです。

カウンセリングでは、カウンセラーが紆余曲折を経て何年生きて来ようとも、
自分の経験で話を聴くことはできない、と前述しました。

しかし、若いカウンセラーを見ると、
「この人は、一般の会社に勤めた経験があるのか?」
「この人は、結婚した経験があるのか?」
「この人は、出産した経験があるのか?」
「この人は、子育てした経験があるのか?」

という観点で一般の方が心理士を見ていることも多いのです。

そして「この人は、相談をするにあたって、若すぎはしないか?」と思われ、

「この人は若そうだから、自分の相談をわかってはもらえないのではないか?」と
思われがちになります。

残念ながら、これが現実なのです。

専門的知識を持っているから若くても大丈夫なんですよ、とこちらが言いたくても、
残念ながら、一般の方から見れば、こういう風に思われるのです。

そう思われてしまうことにムキになっているようでは、いけません。

「あなたは子供を育てたこともないくせに!」と言われて
ムキになって言い返しているようでも、カウンセラーとして終わっています。

子育ての悩みを話すのに、自分の子供を産み、
実際に子育てしたことのあるカウンセラーに相談したいと思うのは
しごく当然のことですし、
会社の悩みを話すのに、一般の会社に勤めたことのあるカウンセラーに相談したいと
思うのも、ごく当然のことですし、
夫の悩みを話すのに、離婚経験を持っているカウンセラーに相談したいと思う方も
たくさんおられる、ということです。

クライエント様は、ご不安だからこそ、
自分と同じ経験を持っているかもしれない人を選ぼうとする方が、
たくさんおられるのです。

そうではない方もたくさんおられますが、

同じ経験を持っているカウンセラーになら、
より強く、深くわかってもらえるのではないか?と考えるものなのです。

プロ側からすれば、そうではないのですが、
お客様は、そう思うものなのです。

そういう、一般の方の心理・傾向・ニーズというものを、
わかっているべきです。

そういう観点から見れば、カウンセラーが「若い」というだけで、
圧倒的に不利となります。

外来に座っている若い医師が「お兄ちゃん若そうだけど大丈夫なの?」と
思われがちなのと同じです。

心理士として活躍していくには、
20代よりも、30代、
30代よりも40代以降の方が、圧倒的に有利です。


また、心理士になろうとする方は、
必ず、社会人経験を経てからカウンセラーになるべきです。

普通の会社に勤めたこともないカウンセラーは、
ハッキリ言って、役に立たないと思います。

多くの臨床心理士が、研究し、論文ばかり書いて大学院を卒業し、
そのまま心理士として病院に勤めたり、学校に勤めたりするわけですが、
アルバイト程度しかしたことのない状態でクライエント様と接し、
子育てもしたことがないのにスクールカウンセラーとして勤めることに、
なんの危険も感じないのかな?と考えると、正直、恐ろしいです。

臨床心理士を否定したいのではなく、
これは全ての機関での有資格者に当てはまることなのです。

少なくとも、社会人経験を経て心理士になることを、私は強くお勧めします。

できれば、子育ての経験を持っていると、なおいいです。

男性は、妊娠や出産を経験できなくても、
子育てしたことがあれば、うんと強みになります。

自分の経験してきたことでカウンセリングはできないとはいえ、
このような経験を持っていることは、決して無駄にはなりません。
どのようなことでも、体験して体得してみることは、
カウンセラーとしての知識に拍車をかけていきます。

クライエント様とお話していても、うなずきに、説得力が出てきます。

できたら、精神疾患の理解のため、精神科病棟での研修や、
障害児の理解のため、そういった機関にてボランティアをし、
患者様・子供と直接接した経験を持っていると、なおいいです。

私はこのようなボランティアをするのに、
何年間も費やし、いくら使ったか知れません。

専門知識に加え、専門的な研修をし、社会人として働いた上で、
精神疾患と薬物についてうんと理解していなければなりません。

そして、こういう勉強をしていれば、おのずと歳を重ねているはずです。

 


技術についての訓練について、かなり記述して参りましたが、
どうしても、大勢が集まる研修では、
講義と実技が両方入ってくるため、
長い時間の傾聴訓練やグループワークはなかなかできず、
「10分〜20分程度で1つの役割」が限度でしょう。

よって、自主的な勉強会を開いておられる方々は、
慣れてきましたら、30分・45分と、少しずつ時間を延ばしてみて、
その後、役割を交代してみるのもひとつの練習法なのかもしれません。

けれども、そのうち傾聴訓練に「わざとらしさ」を感じてくることがあります。
そんなとき、本当に訓練できるのは、普段の人間関係です。

普段の人間関係で、その方と会うことに慣れていても、
「本気で話を聴く」となりますと、大変骨が折れます。

でも、やれることが、たくさんあるのです。

・相槌の種類を劇的に増やす
・相槌のタイミングを劇的にうまくする
・軽い相槌ではなく、本気で相槌する
・相手の愚痴を本気で聴いて便器になる(その大変さを体験・理解する)
・こういうときどうしたら?ときかれたら、答えてみる・応えてみる
・一緒になって悩んでみたり、困ってみたり、怒ってみたりする
・少し質問する(相手がもっと言いたいこと・無意識だったことなどを引き出す)
・相手の話に興味を持ち続けることの苦痛を体感・理解する
・集中を維持することの困難さを自覚する
・登場人物を記憶する
・ゆがんだ認知はないか確認する
・果たして自分に一般論ではない有益で適切なアドバイスが思い浮かんだか?
・これがもしクライエント様だったら、見立ては?使う療法は?
・相手の性格をつかむ
・相手のニーズをつかむ
(ただ聴いてもらいたいのか、アドバイスが必要なのか・
 わかってほしいのか、許してほしいのか、同意が欲しいのか・
 背中を押して欲しいのか・など)


・・・なんでも練習できますね。

私も、普段のカウンセリングに加え、
これを、家族や友人と話すときに、
こういうことを練習している、ということです。

また、お友達の職場の話や、ご親族の話、恋愛や結婚の話を聴いていると、
その方の性格が色濃く現れており、
「この方の性格から他人を見ると、こう映るんだなー」
「この人がAさんに望んでいるのは、こういうことなのだろうなー」と、
言葉にならないものをつかんでいくことができ、
どこらへんに、どう反応・応答してあげたら
この方が「スッキリした!」というお気持ちになれるか?と考え、
すごく練習になるのです。

友達が相手ですと、結果2〜3時間も話をしていたりすることも多く、
友達との食事を利用して勉強した後は、
カウンセリング後と同様、頭痛がひどいです。

こうして、研修と合わせ、身近でも、練習は、たくさんできます。

そして、自己不一致を体験しまくり、
そこを自己一致していって成長していくのです。

このような研鑽を積んでいくと、少しずつ技術は身についてきます。
心理士の在り方が、体験として、身についてきます。

高い応答技術を持っていれば、必ずカウンセラー側に
「余裕」と「落ち着き」と「安定感」が生まれてくるはずです。

それは、「人間としての柔らかさ」につながってくるはずです。

たとえ金森のような”ヤクザ顔”でも、
余裕と落ち着きと安定感+ふわっとにこにこしていれば、
初回クライエント様にお会いするときから、柔らかさは出せるはずなのです。

これこそが、「暖かな関心」と「無条件の肯定」と相まったとき
自然で大きなノンバーバルな空気感が生み出され、
「ここ、なんか大丈夫そう」と思わせる場が作り出されていき、
それがクライエント様を包んでいくのです。

初回お迎えするとき、クライエント様は、
どんなところで、どんなカウンセラーなのだろうか?とご不安なのです。

ですから、こちらが硬い顔をしてお会いするようではいけません。
にこにこは、ふわっと、ほんのり、です。
ニコニコ〜!とは違う。これは場違いなのです。
そして暖かな受容・関心・肯定は、お迎えした時点から!必要なのです。

心理士としての適切な素養・知識・技術・倫理・表情・態度・挨拶・見た目、
このすべてが揃っていなければなりません。

ここまでの、安全な場と空気感まで提供できてこそ、
クライエント様は、カウンセラーに対し、
少しずつ安心して、少しずつ心をゆだねていくことができるのです。

自分の心持ちが危機感を基礎として、余裕・落ち着き・安定感にまで至り、
こういった安全な場を作り出せるようになれるまで鍛錬してください。

そして、現場にいるカウンセラーになってからも、
研修・研鑽・学習は、一生続いてゆくのです。

 


質の高いカウンセラーになるために、
そしてクライエント様を害さないために、もっとも有効な手段は、
「自分自身がカウンセリングを受けてみる」ことです。

それを、「教育分析」といいます。

カウンセラーの言葉ひとつで、自身の気持ちがどう推移するものなのか、
それを体感してしまうのが、最も有効です。

できれば、自分が本当に悩んでいることや、気に掛かっていること、
何かひとつのテーマについてなどで、複数のカウンセラーと話してみると、
カウンセラーの応答が全て、良くも悪くも違うことがわかり、
とても勉強になると思います。

クライエント様を害すようなカウンセラーになりたくなかったら、
自身が、応答を受ける側に立ってみなさい。
「あれ?」という応答をもらってみなさい。
そのときの、自身の感情の動きを体感しなさい。
自分で言われてみて、害される恐怖を、味わってみなさい。
できたら、下手なカウンセラーから応答をもらってみるのがいいです。
自分がカウンセラーから害されてみること。それが一番手っ取り早い。

また、心理士は、ノンバーバルな療法以外では、
何の道具も使わずに、クライエント様と対峙します。
自分の身ひとつしか、道具がありません。

その道具の性能を、教育分析で、見極めてみてはいかがでしょうか。

さらに言えば、心理士が、自らカウンセリングを受けるのは、義務です。

これをクライエント様が知ると、皆一様に大変驚かれます。
「え?先生が、カウンセリングを受けるのですか?」と。

けれども、心理士とて人間です。
悩みもあれば、困ることもあれば、愚痴を言いたいこともあれば、
孤独な職業に就いている苦悩もあったりします。

でも、悩みがなくても、困っていなくても、
心理士は、カウンセリングを受けるべきです。
なんてことない話をしていても、カウンセリングをしてもらうと、
ありとあらゆる、ものすごいことに、気付いたりします。
少なくとも、私はそうです。

そして、自分でカウンセリング料金の支払いをしてみると、
「高いなー」とか「きつい出費だなー」と思う。
下手なカウンセラーには「これってお金払った価値あるのかなー」って思う。
そんな思いを、クライエント様も、されているのだな、と、
私は身の引き締まる思いになり、支払いすら勉強になります。

また、
「ラーメン屋の主人がラーメンを食べたことがない、
なんていうことは、あるはずない」ように、
心理士とて「カウンセラーが、カウンセリングを受けたことがない、
なんていうことは、おかしい」ことなのです。

カウンセラーになりたいと思っている方は、
必ず教育分析を受けてください。
とにかく、ただ、小難しいことを考えずに、
あちこちで、あるいは一人の先生のところで、
何度もカウンセリングを受けてみるべきです。

それが最も大きな研修の場となるはずです。


またこれは、大変古いもので、白黒画像ではありますが、
「グロリアと3人のセラピスト」というビデオがあります。

このビデオは、一般人には手を出すことができないような、
非常に高額なものです。

産業カウンセラー協会では、これを1000円で見ることができます。

応答ひとつで、いかにクライエントの態度が変わり、気持ちを揺さぶるか、
非常によくわかると思います。

使う精神療法が変わるだけで、いかに多くのことが違ってくるか、
非常によくわかると思います。

1つの精神療法しか使わないことが、折衷カウンセリングと比較して、
どのような影響を与えていくかも、非常によくわかると思います。

多くの方に、是非ご覧になって頂きたいものです。