心理臨床の世界で最も名の知れた資格は
臨床心理士です。

日本国内では、臨床心理士の資格が最高峰であり、
他の資格は、残念ながら、どこの資格を持っていても、大差はありません。

しかし、臨床家になるならば、
必ず1つは、資格を持っているべきですし、
3年〜5年は、みっちり勉強して頂きたいところです。

臨床心理士の資格を取るならば、心理系の4年生大学に進学し、
認知・発達・社会・犯罪・臨床・統計・心理学史・知能検査を含む心理査定・
その他かなりのジャンルの心理学を全て網羅して学ばなければなりませんし、
研究し、論文を書く、研究し論文を書く、という行為を
何年間にも渡ってやり続けなければ卒業はできません。

さらには、大学院では、
英語の文献をスラスラと読めるくらいでないと研究論文は書けませんし、
何を研究したいのか?という主体性がないと、大学院にはいられません。

合計で、最低6年間の学習を経て、
さらには、臨床経験1年以上を経てから、
はじめて臨床心理士の資格試験を受け、
臨床心理士の資格が取れた後も、論文発表、学会発表などの義務があります。

しかし、臨床心理士の資格を持っていても、
社会人経験があり、傾聴訓練、教育分析、精神疾患と薬物への理解、
性格的な素養、見た目、感受性、人間性、人間愛、全てを併せ持っていなければ、
心理臨床の世界に身を置くことはできても、
クライエント様の援助をするのは難しいと言わざるを得ません。

そう。

資格だけ立派でも、良いところに心理職で勤められても、開業しても、

腕がなきゃ、どうしようもない、ということです。

クライエント様を、次々と受け止めていき、
必ず、クライエント様のお役に立つのだ、
必ず、クライエント様を、彼らの望む最善の方向へ導いていくのだ、
必ず、お気持ちもお体も、守っていくんだ、
そういう基礎と、芯がなければ、腕がなければ、
結局は、クライエント様のニーズには応えることができないのです。

心理士に、芯が通っていないと、ニーズに応えられていないと、
知らないうちに、ただ、来てもらっているだけになっているものです。
その場合、クライエント様は、良くなってもいないのに、来なくなります。
来なくなってから気付いたって、遅いのです。

資格だけ立派でも、何にもなりません。

知識ばかり持っていても、何にもなりません。

論文を書いて、研究しても、
クライエント様と対峙できるようになるわけがないのです。

大学や大学院を卒業したところで、クライエントのお役に立てていなければ
それは単なる肩書きだけの人間になってしまうのです。

クライエント様のお力になる!お役に立つ!ニーズに応える!

これがなされなければ、自らの資格も知識も、何の意味も成さなくなるのです。

病院や学校の心理臨床は、最高峰である臨床心理士が担当しています。

しかし実のところ、臨床心理士への苦情は、大変多いです。

汚い、気持ち悪い、暗い。

決まりきった応答しかしてくれない。

何を質問しても答えてはくれない。

絶対に自己開示してくれない。

結果、心が通わない。

若い。社会人経験がない。

不登校も減らない。

何年通っても治らない。

第一声が「ビデオ撮ってもいいですか?」だった。

などなど、色々な苦情が寄せられています。

臨床心理士と出会って、傷付いたクライエント様が、
たくさんいらっしゃいます。

腕のいい臨床心理士もたくさんおられるなかで、
腕の無い、心の通わない臨床心理士もたくさんいるのが実情です。

臨床心理士に限らず、全ての有資格者に、
信念のある、芯の通った心理臨床家になって頂きたいと私は思います。

信念とは、「自分は心理士として、クライエント様に、どうなって頂きたいのか」
「自分は心理士として、クライエント様に、何を提供したいのか」
ということを持っていることだと私は思います。

肩書きだけが立派なのではなく、
覚悟と信念を持って、強烈に腕を磨いて、
本物の社会貢献ができる心理臨床家になって頂きたいのです。

 

昔と違い、今は多くの方が自らカウンセリングを学ぶ時代になりました。
非常に喜ばしいことだと思います。
カウンセリングを学ぶと、人間関係を良好に築けるようになりますし、
自分の軌道修正もできますし、普段の生活に、うんと役に立つ知識が身に付きます。

けれども、私が驚くのは、まだ漠然とカウンセラーになりたいと思っている方や、
カウンセリングの勉強をされている方の多くの方が、
プロのカウンセラーから、タダで、あれもこれも教えてもらおうと考え、
専門家に食い下がり、群がる人が後を絶たないことです。

さらには、プロのカウンセラーになりたての人までもが、
プロから、タダで、あれもこれも指導してもらおうと考え、
ガンガンメールしてくる人までいる、ということです。

正直なところ、「この資格はどうやって取ればいいんですか?」ですとか、
「カウンセリングスクールはどこを選んだらいいですか?」ですとか、
「この機関でカウンセラーをやるには、どうやってなるんですか?」といったことは、
それくらい、ご自分でお調べになったらどうか、と思います。

そのようなことも自分でできないような依存性の強さで、
心理士のような仕事が勤まるはずがありません。

なぜか?

それは心理士が、クライエント様から「依存される側」に立つからです。

クライエント様を、圧倒的な知識と技術と愛情で、抱え込まなければならないのです。

その心理士側が強い依存性を持っているようでは、
いえ、仕事という役割性格をかぶっているときすら依存する側でいるようでは、
クライエント様から頼られるような人になれませんし、
クライエント様から依存されて包み込む器の容量も足りない、ということになります。

昔と違って、今の世の中、インターネットに何でも出ています。
カウンセリング学校でも、プロのカウンセラーでも、
カウンセリングスクールの口コミや苦情でも、心理系の大学でも、
何でも、調べれば簡単に出てきます。
何十社でもご自身で調べ上げて、パンフレットを実際に取り寄せ、
本を読んで業界を知り尽くし、お値段も比較して、悪い噂がないか確認し、
面倒がらずに、ご自身でまず、よく、よく選別して頂きたいのです。
そこまで自分でやっていれば、おのずと何かが明確になってくるはずで、
これだ!となったら、決めればよいのです。

あるいは、まず自分でそこまでやってから、
プロカウンセラーの予約を取って、
きちんと正規料金を支払って、聞いたり、相談しに行けばよいのです。

自画自賛に聞こえたら大変申し訳ございませんが、
私は、高校生の時点で、
インターネットも無い時代に、この業界を徹底的に調べ尽くしてあり、
どの資格はどう取ったら良いかも多数知っており、
そのためにはどのくらいの時間とお金が必要かも知っており、
心理職で勤め先がほとんど無いことも、食っていけないことも知っており、
心理臨床の良い面も悪い面もわかり尽くしてあり、
その上で、大学の入試面接では多数の教授陣や臨床心理士を前に、
流暢にこの業界の現実や表と裏、課題点、自身の目指すことをよどみなく語りました。
口から勝手に出てくるくらい調べ上げていたのです。

私が優秀な高校生だった、と言いたいのではありません。

私が申し上げたいのは、フツーの高校生でもできるようなことを、
大人になって、タダで人に頼んだり聞いたりしているようではいけません。
ということです。

本当にカウンセラーになりたいのなら、それくらい、できるはずなんです。

自分で調べてみる、という行動・行動力は、
必ず自分自身を成長させます。


また、これは私に限ったことではないと思いますが、
心理カウンセラーになりたい、という方が大変に多いため、
カウンセリングの研修に行くと、
既に現役でプロカウンセラーをやっている人に対し、
どうしても、まだプロになっていない方が群がります。

はい、当然のことですし、仕方のないことだとも思います。

聞きたいこともたくさんあると思います。

でも、それは、してはいけません。

「そのくらい、タダで教えてくれてもいいじゃないか!ケチ!」とおっしゃる方、
お思いになられる方もおられると思いますし、お気持ちはわかります。

けれどもそれを、何十人にもされることを、想像してみて頂きたいのです。

自分の質問はほんの小さなことでも、それがいくつも積み重なったとき、
それはプロ側にとって「質問攻めに遭う」ことになります。

いえ、プロ側には、ご質問に対し、お答えし、お応えしたい所存はあるのです。

ただ、プロの心理臨床家が講師である場合も、研修参加者である場合も、
研修に行く度にそのようなことをされ、休憩時間を取ることもできず、
帰ることもできず、エネルギーを奪われるのは、意外と負担なものです。

こういうことでお困りになっておられる臨床家や精神科医は、
結構たくさんおられるのではないかと思います。

私にとて、「できたらタダで聞いちゃいたい、ちゃっかり願望」はございます。

けれども、相手の立場に立って物を考えたら、
それをみんなにされたら?と考えたら、できないはずなのです。
我慢できるはずなのです。
よって、結果、ただのご挨拶に留める、という行動が取れるはずなのです。
何か聞きたいことがあったら予約を取る。お金をきちんと払う。
少なくとも私は、そうしています。
それでも、色々とご迷惑をお掛けしてしまうくらいなのです。

依存心をなくす、減らす習慣を付けることは、
心理職に就く人間にとって、義務と言わざるを得ません。

それは全て、クライエント様のためになっていくのです。

心理士自らが、精神的に自立していないようでは、終わっています。
そして、自立の姿をクライエント様に見せられないようではいけません。

そして、いつかカウンセラーになった暁には
同業者とのお付き合いをしていくようになるわけですが、
それにあたっても、他の先生への配慮、礼儀、対峙の仕方は大変に重要であり、
やはり他の先生への依存心をなくし、自立しているべきなのです。

人を頼るな、とは決して申しません。

ただ、人を頼り、教えを請うときの礼儀・礼節があります、ということです。

人間関係は、ギブアンドテイクです。

しかし、カウンセリングを学ぶ者と現役心理士というような
ギブアンドテイクが成り立たない関係では、
教えてもらう側が、礼儀・礼節・節度を持って、
知識を持っている人に対峙することが求められます。

そして、ギブアンドテイクが成り立たないからこそ、
講演や講習やカウンセリングで色々教えて頂くために
「料金」というものをお支払いし、お金を挟むことで、
せめてものギブアンドテイクを成立させることが求められるのです。

現役心理士になりますと、
心理士が自らカウンセリングを受けることは義務となり、
普通に心理士同士で予約を入れ、予約を受け、お金を払い、払われる、という、
そういうやり取りが普通になります。

そして、飲み会の席などでは割り勘で、同士・戦友・友達・知り合いとして、
初めてお金を挟まない、でも礼節のある関係で色々な話をするのです。

倫理にて、「枠」について前述しました。
それは、カウンセラーとクライエント様の関係だけではなく、
教える側・習う側・カウンセラー同士にもあるし、
必要なものだ、ということです。

とにかく厳しすぎるこのブログを読んでくださっている方は、
大変に意識の高い方だと私は思います。

どうか、どこへ、どのような研修を受けに行かれても、
プロにタダで教えてもらおうと食い下がる人には
決してならないで頂きたいと思います。

 

世の中には、カウンセリングを否定的に捉える方が少なくありません。

日本では、特にそうです。

「あやしい」「気持ち悪い」「どうせばったもんでしょ」
「カウンセリング=催眠誘導される」というような総合的な拒絶もあれば、

一般の方に、「自分には必要ない」「受ける人の気が知れない」と
お考えになる価値観の方もたくさんおられ、

クライエント様にカウンセリングへの偏見がなくても
「そんないかがわしいことにお金を払うなんて!」
「見ず知らずの人に恥をさらすなんて!」と
ご家族の方に強く否定されてしまう方もたくさんおられますし、

企業様でも、「社員のメンタルヘルスにお金を掛けるなど考えられない」
「そのようなことは甘えであり、なぜ会社側がそのような負担を負わねばならないのか」
とお考えになる社長様・人事様もたくさんおられますし、

医師・精神科医の中にも、
「医師免許を持たない人間が精神療法・心理療法を扱うこと自体、許されないことだ」と
お考えになる方も、たくさんおられます。

このように、アンチカウンセリングの立場を採る方が、
世の中には、ものすごくたくさん存在する、ということを、
しっかりと知り、わかり、この現実を受け入れた上で、心理士になるべきです。

さらに言えば、心理士自身の家族や周囲からも、
自身の仕事を否定され、受け入れてもらえないことが非常に多いことも
わかっているべきです。

自分の仕事・カウンセラーとしての存在は、
日本では否定・批判を強く受けることがあるのだ、
風当たりはそもそも強いのだ、という覚悟が先にできていないと、
実際に否定・批判されたときに、かなりムキになってしまうことが多い。

そんなときは、無理に「相手の考えを変えよう」としないことです。

アンチカウンセリングの立場を採る方に対し、ムキになって説明したところで、
説得や価値観変容が簡単に成功するようなことは、まず無いと思って頂いた方が良い。

そもそも、心理士の仕事は、
アンチカウンセリングの立場の方を説得することではありません。
あくまでクライエント様と接していくことが仕事なのです。
その軸がブレてはどうにもなりません。

心理士の在り方として大事なのは、
そのようなお考えを持つ方が大勢おられる、ということに対し、
「アンチやご批判の根拠・お考えがその方なりにあるからだ」ということで
自己一致できていることです。

そうできていないと、どうしても、否定されたときに、
「そうでしたか・・・そのようにお考えなのですね」と相手のお考えを受容できず、
頭を下げて静かに引き下がることができなくなる。

また、クライエント様より「家族にカウンセリングを反対されている」
ということを相談されたときにも、
心理士が自己不一致を起こしていると、適切な対応が取れなくなる。

批判される度にいちいち食い下がっているようでは、
心理士のエネルギーの無駄な流出につながり、結果徒労に終わる。

自分の仕事は否定批判されることがあるのだな、
いや、もう一歩、否定批判があるのは当然だ、というくらいの自己概念の元、
しっかりと自己一致して自身のスタンスを確立して頂き、
ご批判も甘んじて受け入れるくらいの余裕をお持ち頂きたいところです。

批判される覚悟を持てるのは、人間への深い理解と、
心理士としての覚悟と信念の現れでもあるのです。

 

健康保険の利く病院でのカウンセリングと比較して、
保険の利かない開業心理士の技術料は、非常に高額です。
面談1回につき5000円〜1万円以上掛かるのが通常である。

しかし、その半分は経費に充てられることを想定しているため、
心理士の利益は微々たるものとなる。

けれども開業心理士は、
この5000円、この1万円があったら、
もし彼らがカウンセリングにお越しにならずに済み、
頂いた料金が彼らの手元にあったとしたら、
このクライエント様はこのお金で、一体何ができたろうか?
ということを考え、想像し、

1回でもカウンセリングに来る回数が少なくなるよう、
尽力するべきです。

決して、あれこれ理由を付けて「通わせよう」
「通って頂けるように誘導しよう」という魂胆を持たないことが、
開業心理士の姿勢として、在り方として、とても大事なことなのです。

心理士として、見立てはございます。

よって、通って頂いた方が良いケースも、たくさんございます。

そのようなときは、「ご提案」「お勧め」としての範囲で、
率直に、わかりやすく、心理士の考えをお伝えすれば良いだけです。

そして、必要な方に、必要なだけの、
次回のご来談意欲・ご来談動機を湧かせるような、
そのようなカウンセリングをすれば良いのです。

「今日のお話からこのようなことを感じ取れたので、
もしよろしければ、次回このようなことをお話したいと私は感じたのですが、
○○さんはどのようにお感じになりますか?今日お話してみていかがでしたか?」
と問いかけてみれば良いのです。

水面下での誘導など、必要ございません。

もし明確に何かを直したい・治したいというニーズでしたら、
今後の流れについてわかりやすくご説明した上で、決して強制することなく、
「そうかぁ・・・じゃぁ次回も来てみようかな・・・」と考えてみて頂く、
そんな「きっかけ」を与えて差し上げる、という所存であるべきだと私は考えています。

また、性格や症状から、決断ができづらい方もたくさんおられます。
次回の予約を取ったら→通うと勘違いされるのではないか?と警戒する方もおられます。

この場合は、「”通う”とか、今ここで決めなくても、全然大丈夫なんですよ!」
「居酒屋じゃないけど、とりあえずビール、じゃないけど、
とりあえず次回のご予約だけするのも、全くおかしいことではないんです」
というようにご説明しますと、「あ、通うとか決めなくてもいいんだー」とお感じ頂けて、
とても安心されたご様子で「それなら予約していく」という方もたくさんおられます。

また、わざわざ通うように誘導しなくても、説得や営業なぞしなくても、
ニーズに的確に応えている心理士は、自然と「あと1回来てもいいですか?」
「ちょっと通いたいんですけど」「困ったらまた来てもいいでしょうか・・・」と
言われるようになります。

クライエント様に通わせようとする心理士は、
腕も足りませんし、感受性も足りませんし、想像力も足りませんし、
クライエント様が生活費にしか映らないのは「人間として未熟」だと思いますし、
カウンセリングという商売を勘違いしていると思います。

カウンセリングでお金儲けしようなぞ、言語道断です。
開業心理士は、人の倍以上働いて、サラリーマンの半分以下の収入であることを
よくよく、わかっているべきです。
よって、生活費をまかなえるだけの利益を出すことは、
経営という名の行動をコツコツ続けた一握りの心理士しか達成できないことを
よくよく、わかっているべきです。

心理士は、医師や弁護士同様に、
「出番がないに越したことはない」因果な商売です。

皆が、心身共に健康で、周囲に話を聞いてもらえ、問題を解決でき、
ストレスがあふれこぼれない程度のベストな状態で生活できていれば、
カウンセリングルームなぞ不要で生きていられたはずです。

それでも、やはり人間は常にベストな状態で生きられないからこそ、
困ったときに専門家を訪ねたいからこそ、カウンセリングの需要はあるのです。

が、カウンセリングは、決して安くはないのです。

よって、1回でも少なく済むよう全力で取り組もう、
このお金で少しでも早くクライエント様の好きなことができるように回復へ導こう、
そのためにうんと話を聴こう、わかろうという所存でいなければなりません。

弱っているクライエント様を誘導し、長く通わせようとする心理士は、
長く通って頂いても成果が出ていない・直す・治すこともできていないことが多い。

是非、特に開業心理士になるならば、クライエント様から自然と信頼されるような、
次も来てみたいと自然と思って頂けるような技術と、ニーズに応える技術、
そして、クライエント様のお金を大切なものと考えることができる、
相手の立場に立ってものを考えることができる人間性を
備えていて頂きたいと思います。

 

心理士には、守らなければならない倫理がございます。

これを、守ることができない心理士が意外と多いことが、
私は残念でなりません。


/翰士は、クライエント様と、カウンセリングの場・枠以外では、
個人的に、外でお会いすることが、許されておりません。

クライエント様が道に迷われているから、と
駅にお迎えに行ってあげることすらできません。

道でばったり会っても、会釈程度に留めるか、
あえて声を掛けない、挨拶しない、(悪くいってしまえば無視だが)
むしろ、気付かないフリや、スルーし合うくらいの方が、
お互いに賢明ですし、お互いに楽だったりします。
クライエント様がどなたかとご一緒の場合は、特に挨拶しない方が良い。
「あの人だぁれ?」という話になり、嘘をつかせる負担を掛けさせてしまう。
心理士の側も、外で突然クライエント様と話せるような、適切な準備もできていない。

たとえクライエント様がご卒業なさったとしても、
その後何年経とうとも、友達にもなれませんし、デートもできません。

カウンセリングは「枠」というものがとても重要なものです。
なぜこの「枠」が大事なのか、原理・根拠としてきちんとわかっている必要があります。
わかっていないと、心理士はこの枠を、平気で侵していくようになります。

それをしないためには、さらに、
陽性転移・陰性転移・逆転移についても、きちんと自己一致できているべきですし、
必要であれば早急にスーパーバイズをお願いするべきです。

これができていれば、クライエント様を害すことなく、
そして心理士自身も、自分の身を守ることができます。

そう、この「枠」を守れないことは、
心理士の身を滅ぼすことにもなっていくのです。

「枠」というのは、
場所という観点も、時間という観点も、料金を挟む、という観点も、
全て含まれて「枠」なのです。

「倫理だから、ただ守ればいい」ということではなく、
なぜいけないのか、なぜ枠が必要で、なぜその枠が自他を守るのか、
その理論・原理・理由・根拠を、
自身でしっかり噛み砕いている必要がある、ということです。


⊃翰士は、クライエント様に対し、異様で執拗な営業を行うような、
そのような身勝手な行為は慎むべきです。

異様な営業行為の内容としては、
一方的に電話を掛けて話をし、それに対し料金を取ろうとする、
高額な回数券を「無理に」買わせる、契約書を書かせる、
ご予約キャンセルに対し請求書を送り付ける・泣くなども含まれます。

このような心理士がいることは、残念ながら、
実際にクライエント様や心理士仲間より報告された事実です。

こういったことをするのは、選ばれないカウンセラーがやりがちです。
「素養・性格改善」でも前述してありますが、
依存的で、クライエント様がいらっしゃらないことで自分が崩れてしまうような、
そのような、精神的に未熟な心理士がやってしまいがちな行為です。
クライエント様が生活費に映る、経営にも未熟なカウンセラーがやりがちです。

明確な用件があれば、メールやお電話で伝えて手短に済ませれば良いので、
絶対にこちらから連絡をしてはならない、ということとは違いますが、
その際は「こちらからご連絡をして申し訳ない」旨、ひとこと添えるべきです。

執拗に営業を行ったり、来るように説得したり脅したり泣いたりするのは、
倫理違反と言わざるを得ませんし、距離感を保てない→,鮨す言語道断の行為です。


心理士は、たとえご紹介があってご来談になった方であろうとも、
ご親族の方であろうとも、近しい間柄の方であろうとも、
第三者の問い合わせに対し、守秘義務を守らなければならず、
ご相談内容はもちろんのこと、
「来ている」とも「来ていません」とも答えることはできません。

ご本人の許可があれば別ですが、
基本的には、うんともすんとも、お答えすることができません。

医師ならば、ご親族にのみ、容態を伝えることが可能ですが、
心理士は、それすら、できません。

きついのは、「そちらへ通っていると、本人から聞いている」という場合です。

A:それでも、ご来談している・していない・ご相談内容・状態について、
明言することはできません。

そう、「そのようなことは、一切ご回答しかねるのです・・・」と、
しらばっくれるしか、ないのです。

→これで「そうなんですね」と電話を切らない方がいます。
この場合は、さらに言います。

B:「ちなみに、確認ですが、あなた様は・・・」と、
問い合わせ者が、ご親族なのか、元ご親族なのか、知人の範囲か、
きっちり確認を取り、フルネームまで教えて頂く。

C:「今回のお電話は、その○○さんとおっしゃる方の許可を取って
お電話くださったのですか?」と確認を取ってみますと
「内緒で電話しました」→やっぱり何も伝えることができません。

心理士として、ふいの問い合わせ・質問に対し、
機転を利かせなければならないことが、こうしてあるのです。

とっさの判断・とっさの切り返しで、
適切な対応を取らなければなりません。

決してBの時点で安心して口を滑らせないことが肝要である。

→それでも食い下がってくる問い合わせ・質問攻めには、
戦略を変えて対応します。

D:「私の方では、なんともお答えできかねるのです」
「宜しければ、その○○さんに、直接今の状態を聞いてみてはいかがでしょうか?」
「宜しければ、どうしても気になるようでしたら、
○○さんに先に連絡をして、今も△△カウンセリングルームに行っているのか、
自分もカウンセラーと話してよいか、あなたのことを尋ねてもいいか聞いて、
許可を得てからお電話下さいますか?」とご提案・お願いしてみます。

→これでもダメなら、(「そういう連絡はできない」と言われたら)
これはこの方との関係が良くないことを既に示唆していますので、
さらに戦略を変えます。

E:ここまできますと、問い合わせしてきた方に自覚は無くとも、
このご親族はもう既に「ご不安の強い相談者」と化していると判断し、
さらなる戦略をもって対応することもできる。
しかしEは、心理士の精神的負担が強すぎる戦略ゆえ、
できればDまでで電話を切りたいところである。

ご親族ではない場合は、必ずDまでで対応し、
「お役に立てず申し訳ございません」と丁重にご挨拶し、
静かに電話を切らせて頂きます。

また、問い合わせ者がご親族であっても、
Dまでで対応することがベストであることは間違いないし、
Dまでで済むに越したことはない。

なお、Eの戦略はほぼ滅多に登場しないことと、登場してほしくないこと、
さらに、この場では非常に申し上げにくいことから、別の機会に譲りたい。

Aの時点から、もっと冷たい電話の切り方・切り返しも、ある。

けれども、できれば真摯に、丁寧に守秘義務のご説明をして差し上げて、
申し訳なさそうに電話を切りたいものである。

Dまで3分で済むのだから、お問い合わせしてきた方のお気持ちも汲んで、
丁重にお断りしたいものである。

こういう突然の問い合わせに、
とっさに適切な判断と切り返しを求められるのは、電話である。
メールならゆっくり考える時間があるが、電話は違う。
心理士は、医師よりも硬い守秘義務の範囲を守らねばならないことを
しっかりと自覚して、機転を利かせ、言い方にも十二分に気を付けなければならない。

また、なぜ守秘義務というものがあるのか、というその根拠を、
しっかりとわかっているべきです。

その理解と、クライエント様のためを想えば、
どんなに食い下がられようと、必ず守秘義務は守れる。



倫理は、当然守られていなければなりませんが、
,砲皚△砲皚にも、例外的な対応は、ございます。

,任い┐弌
クライエント様の諸事情や、お住まいの場所の問題で、
ファミレスや喫茶店等の飲食店や、
クライエント様のご自宅まで出張した上で面談することもありますが、
そこが「場所という枠であること」をきちんとお伝えし、
「外でいつでも会えるわけではない」ことをきちんとお伝えする、
そのようなケースもございます。

小さな子供さんは、必ず親御さんに直接引き渡すなど、
セキュリティの観点からお部屋を出たところまで対応することもある。

△任い┐弌
最近お見えになっていない方に対し、「だいじょうぶー?」
「きつくなったらいつでもお越し下さいね」と軽く声を掛けてあげるなど。
決して全ての方に対してはしませんが、
一部分このような連絡があると安心できる方がおられ、
そのような方に対して、稀にお声掛けをするなどです。

また、苦情や陰性転移の場合に、
「電話やメールではきちんと対応できないので、もう一度お越し頂けませんか」と
お願いしてみるケースなど。

でいえば、
20歳に満たない方・あるいは親元を離れている大学生が、
かなりの身体症状・精神症状を呈する場合、
ご本人の許可を得て親御さんにご連絡するなどもありますし、

逆にご本人から「自分の症状をうまく説明できないのですが」と依頼され、
心理士がそれを妥当と判断した場合、ご親族へのご説明を行う場合などもございます。


なんでも「例外だ」「例外だ」といってはなりませんが、
どうしても、稀に、例外的なケースは出てきます。

けれども、基本的には、´↓ともに、
常にきちんと守れる心理士で在りたいものです。

大事なのは、´↓の倫理が、なぜあって、なぜ必要なのか、
その根拠を、きっちりと、理解し、噛み砕かれた上で、
守られていることなのです。

そして、なぜそのケースは´↓の倫理を越えて例外にあたるのか、
その理由を明確に持っていることが、大事なのです。

これが自分で説明できない方は、心理士になるべきではありません。

 

私は、心理士になることは、そもそも、勧めません。

人に勧められるような仕事ではございません。

そもそも、心理士なぞという仕事には、就かない方がよろしいです。

理由は、多数ございます。

まず、心理士という職業には、日本では、地位も、名誉も、立場も、ございません。
臨床心理士ですら、医局から干され、居場所が無く、別室に追いやられ、
国家資格を持っていないことで、医療界からは見向きもされません。
日陰の、資料室のような部屋で、役に立つとも立たないとも思われないような、
いてもいなくてもいいような存在として仕事をしていくことを、
まず、覚悟していて頂きたいと思います。

次に、金銭的に、まったく恵まれない職業です。
心理士は、まじめにやればやるほど、儲かりません。
開業心理士となりますと、なお、経営のプレッシャーは大きくなります。
心理カウンセラーとして、多くの方が開業し、
ほとんどの方が潰れていく現実をしっかり自覚し、
開業するのであれば、実務と経営、
この双方をしっかりやっていく強い覚悟、そして行動が必須となります。
潰れなくても、生活していくので精一杯であったり、
OLやサラリーマンよりもうんと働いた上、
彼らよりうんと収入が少ないことを覚悟してください。
売れるカウンセラーになりたければ、それだけの、行動が必要だということです。

次に、これは少し前述しましたが、
援助職でありながら、達成感がほとんどないことが挙げられます。
やりきった、よくできた、クライエント様がよくなって本当に良かった、
そういった感覚を持つ機会がなかなかございません。
ということは、自らの中に、
何かこの仕事を続けるだけの気力・体力・情熱を維持するだけの動機を、
持ち続けることが必要となってきます。
その「なにか」は、あなたの心の中にあるのだと思いますし、
無い方は、いずれ挫折し、決して続けられないだろう、と思います。

次に、人の秘密を抱える、という仕事は、当然、苦痛が伴います。
誰にも、言うことができません。
それを抱えるだけの器と、クライエント様のために努力するという信念が、
心理士には必要になります。

さらに言えば、人の命を守る、守りきる、という信念も必要です。
クライエント様の中には、攻撃性が内に向き、
自己への攻撃を衝動的に、あるいは常習的に行ってしまう方が
多数おられるのです。
こういったクライエント様に対し、決して説教することなく、
「死にたい」というお気持ちから目をそらすことなく、
クライエント様に忍耐強く寄り添い、
必ずお気持ち、お体、命を守るのだ、という信念を持っていることは、
心理士として非常に重要なことです。

逆に、攻撃性が外に向くクライエント様もたくさんおられます。
言葉でも、態度でも、心理士や精神科医に攻撃性を向ける方がおられます。
心理士は、決してクライエント様を害してはなりませんが、
クライエント様から害される覚悟だけは、最初にして頂きたいと思います。
クライエント様から害されてもなお、クライエント様を守ろうとする、
それが、心理士の務めなのです。

もしあなたがいつか、開業心理士になることを考えておられるならば、
HPを自分で作ることになるはずです。その際に、
自分の顔写真をしっかりHPに載せること。
自分の本名を名乗ること。
ネットの世界でこの2つをする、ということは、
自分の仕事に責任を持つ、ということに他なりません。
ネットの世界に本名を載せると何かと後々・・・と偽名を使う、
ハンドルネームや意味不明なあだ名で仕事をする方がおられますが、
そういう方は、開業しHPを持つ上での覚悟がないと思います。

この仕事をするには、正直、上記のような色々な「覚悟」が必要です。

私は高校生でこの仕事に就くと決意したために心理系の大学に進学しました。
18歳の頃から、臨床心理士からも、大学の教授からも、
「心理士になんて、なるものじゃない」と、
口酸っぱく何度も言われて参りました。
それでも私は、この仕事に就くことを、あきらめることはありませんでした。
私の同級生は60名ほどおりましたが、心理士になったのは私ひとりです。
皆が「私には、できそうにない」と言って、普通の会社に就職しました。

この、「私には、できそうにない」と思った同級生達は、
自身の性格と、この仕事の厳しさを、知っていたからだと思います。
どうやって生活するんだ?どこに勤め先があるというんだ?ということを含め、
勉強したからこその、考えだったと思います。

今、世の中には、数週間の受講で心理カウンセラーの資格認定証を与える、
というようなスクールが山のようにございます。

私は、このような現状を大変危惧しており、
あたかも、簡単に、すぐに、心理士になれるかのような風潮に
強い懸念を抱いているのです。

数週間で学べるような学問の分野なぞ、この世にひとつもございません。

こういったスクールにほだされ、高額な受講料を払って、
数週間学んだカウンセラーが、開業し、潰れるまでの間に、
一体何人のクライエント様を害しているのか?と考えると、
私はたまらなく恐ろしく、同業として恥ずかしくも思います。

そして、他のカウンセラーから害されたクライエント様がご来談され、
お話を伺えば伺うほど申し訳なく、このブログをはじめました。

上記のような低い条件下でも、
必ずクライエント様のお役に立てる心理士になる、
そのような覚悟のできない方は、どうぞ、この仕事に就くことを、おやめください。

生活に生かすカウンセリングを学ばれるに留めておく、
その方が、うんと、賢明です。

心理士の私が、断言します。

地位もなければ、お金もない、感謝もされなければ、報われもしない、
害してはならないのに害される、自分を忘れてもらうことが幸せとなる、
そんな仕事を、あなたは、やり続けることができるのでしょうか?

それだけの、覚悟が、おありなのですか?

とりあえず開業してみるか、と適当なことをやってみて、
「潰れちゃったので」と、クライエント様を放っぽり投げるのですか?

私は、完ぺき主義というよりも、

「プロ」というのは、こういうものだと思っております。

専門職に必要なのは、プロ意識です。

マッサージ師でも、鍼灸師でも、医師や看護師でも、
パイロットでも、野球選手・サッカー選手でも、
専門職なら、それ相当のプロ意識が必要だ、ということを
私は申し上げたいのです。

覚悟もプロ意識もない心理士は、クライエント様を害すだけです。

どうか、ご自身に務まる仕事なのかどうか、
きちんと見極めて頂きたいと思います。

 

私がクライエント「様」と書くのには、
もうひとつ、理由があります。

それは、私が、クライエント様を、尊敬しているからです。

クライエント様は、皆、尊敬に値する人物です。

カウンセラーを訪ねていらっしゃる方というのは、
少なくとも、自分をもっと良くしたい・良くなりたい・
直したい・直りたい・治したい・治りたい・解決したいと思って、
努力しようという方がほとんどです。

その努力の方向性を知りたくて、アドバイスを求めていらっしゃる方もおられますし、
アドバイスではなく、自身で気付きたいと思って訪れる方もいらっしゃいますし、
自分の良くない所を指摘してもらいたくていらっしゃる方もおられますし、
通うことできっちり根本治療してしまおう、という覚悟でお見えになる方もいますし、
ただ、聴いてもらって吐き出すことで普段の生活を余裕を持って送ろうとされる、
そういう使い方をされる方もおられます。

もっと楽になりたい、ということであっても、
直したい・治したいということであっても、
解決したいお困りごとがある、ということであっても、
そう簡単にはいかないことが多く、
それでも楽になれる方向を目指し「努めよう」とする方が大変多いし、
向上心がおありの方がほとんどです。

そんなクライエント様を、尊敬する気持ちがなくては、
「待つ」という心理士の本業を全うできなくなるものです。

心理士たるもの、自分がカウンセリングを受けて
話してみることで気付きを得たこともないようでは、
その気付きから何かを努力してみたこともないようでは、
クライエント様を尊敬するような姿勢は持てるものではありません。

カウンセリングは、
1回〜数回で劇的にスッキリさせることが可能なケースがある反面、
用途によっては、非常に長期間にわたり続くケースもあり、
その場合、カウンセリングはかなりの苦痛を伴うものとなります。

自分の、見たくも無い面を、カウンセラーという鏡で見せつけられ、
努力を必要とし、「続ける」という苦痛を伴います。

それを頑張るクライエント様を尊敬できなければ、
カウンセラーは忍耐ができず、簡単にしびれを切らすようになっていきます。

そういうものは、態度に、応答に、現れてきます。

そうなれば、クライエント様を害し始める。

当然ながら、ただひたすら待ってさえいればいい、というものではないですが、
クライエント様を尊敬していれば、
クライエント様が頑張っているところを何がしか見つけてあげることができ、
見て、褒めて、励まして、認めてあげることが可能になってきます。

クライエント様を師と考え、
クライエント様を尊敬することで、
カウンセラーとしての姿勢に、非常に大きな愛が加わります。

クライエント様を、人間として好きでいられること、愛せることは、
カウンセリングにおいて非常に大切なことです。

間違ってもこれは、恋愛感情ではございません。
お勉強されている方なら、当然キッチリ、わかっておられますね?

こういった深い愛を根底に持ってクライエント様と接することができるよう、
カウンセラーとしての姿勢・精神的肉体的余裕を常に見直したいものです。

 

私が、常に、クライエント「様」と書くのは、
それはクライエント様を、師と思い、
深い敬意をもって接しているからです。

なぜ、師なのか。

それは、クライエント様は、
カウンセラーという見ず知らずの人間に対し、
自分が体験したこともないような出来事、苦難、それに伴う感情を、
自分が知り得もしなかった世界を、教えて下さる存在であるから、です。

それをして頂けるからこそ、
一緒に考え、悩ませて頂くことが、できるのです。


例えばですが、あなたは、
クライエント様が抱くほどの「死にたい」という深い感情や、
「吐くほど、さみしい」という孤独を、感じたことがありますか?

例えばですが、
住宅ローンでもない借金を1000万以上背負う恐怖を
感じたことがありますか?

例えばですが、
そういった感情を行動化してしまうほどの苦しみを、
味わったことが、あるのでしょうか?

例えばですが、
東尋坊や樹海に赴く方々のような苦を、感じたことがあるでしょうか?

正直、心理士を目指されている方の中には、
ここまでの体験をしたことがない方も、たくさんおられるはずです。

そんな体験をしたこともないカウンセラーに対し、
自分にだけひっそりとお話を教えて頂けることが、
いかに大きなことなのか。

クライエント様にとっては、それをお話すること自体も苦しいことなのに、
それを私共に対し、わざわざ語ってくださる。

そのことに、敬意を感じることができないカウンセラーは、
どうしても、奢り(おごり)が出てくるものだと私は思います。


カウンセラーは、
「クライエント様の世界観を聴かせて頂ける・見せて頂ける、
それは大変にありがたいことなのだ」という姿勢で、
常にクライエント様に対しこうべをたれる所存であって頂きたいと思います。

そして、その敬意があってこそ、共感に力を注ぐことができ、
全力でクライエント様のお役に立とう、というエネルギーが湧き、
それがクライエント様に態度・応答をもって伝わっていくものだと思うのです。

金森は、ご不安の強い方には、それを、言葉でも伝えます。
「私が全力で、お力になります」と。
「役所や病院が怖かったら、必要ならば、一緒に行きましょう」と。
そこまで必要なケースも稀にある、ということです。

圧倒的な知識を持っているからと、
カウンセラーの側が偉ぶるなぞ、勘違いも甚だしい。

はじめてクライエント様の世界観を聴かせて頂いたところで、
初回から、さぞわかったようなことを応答するなぞ、さらに言語道断です。

こういうところがありますよ、という情報だけを与えるカウンセリングも、
事務的でカウンセラーとして心が無く、致命的です。

クライエント様を師と考え、敬意をもって関われば、
クライエント様の本当のニーズをつかもうと、心で関わろうと、
必死になれるはずなのです。


自分の体験してきた世界観なぞ、ちっぽけなもの。
そういうつもりで在れば、おのずと、クライエント様は師となるはずなのです。

カウンセラーは、クライエント様がお話してくださることに、
そして、お越しくださることに、常に、感謝すべきです。

私は前述しました。
自分を本当の意味でカウンセラーにしてくださるのは、クライエント様なのです、と。
このもうひとつの意味は、これなのです。

クライエント様が、自分の知らなかった苦難の世界を教えて下さる。
それがあってこそ、初めてカウンセラーにさせて頂けるのだ、ということなのです。

クライエント様が、自分というカウンセラーを選んで下さった。

そして、お話してくださった。

それは、私共に、クライエント様のそばに、たたずむ権利をくださることです。

関わらせて頂いている。

そういう意識を、常に大切にしているべきだと私は考えています。

一度選んで頂いたら、いつまでも選ばれているわけではないんです。

効果を感じて頂けなければ、クライエント様は、離れていきます。
当然のことです。

1回・1回が、大事なクライエント様の時間なのですから、
1回・1回ごとに、常に何がしか必ずクライエント様のお力になるんだ、
そういう意識を忘れないで頂きたいと思います。

 

「先生は、お仕事ではどうやら、完ぺき主義のようですね(笑)」と
コメントを頂くことがありました。

その通りです。

私はこのブログを、最初から、自戒の意味を込めて書いております。

書いている人間ですら、
完ぺきを目指しても、できないのです。

わかっていても、できるものではありません。

「知っている」ことと、「できる」ことは、違います。

これだけのものを目指していても、できないから、書いているのです。

どんなに鍛錬しても、
完ぺきなカウンセラー・完ぺきな人間には、決してなれません。

カウンセラーは、単なる人間なんです。

万能ではないのです。

けれど、完ぺきになれないからこそ、
せめて、こう在るべきつもりで、鍛錬して頂くことが望ましいのです。

私とて、現場で一人のクライエント様も害したことがない、なんて、
決して言えません。

お役に立てなかったケースが、たくさんあるのです。

自分が至らなかったケースが、たくさんあるのです。

真にわかってあげられていなかったケースが、たくさんあるのです。

だから、どうしても、しょっちゅう、自分が役立たずに感じ、
辞めたくなります。

わかっているのに、できないのです。

10年やっても、そんなレベルの自分に、嫌気が差します。

逆に、10年やったことで、下手になっている気がすることもあるくらいです。

だからこそ、私は可能な限り、初心に帰るようにしています。

そして、初心に帰って基礎から再び鍛錬するのです。

カウンセラーは、特段かっこよくもなんともありません。

やっぱり単なる人間でしかありません。

自己万能感を持っているカウンセラーは、恐ろしいです。

常に、自分は万能なんかではない、ということを自覚して頂きたいです。

どんなに鍛錬を積んでも、自分の能力を、勘違いしないで頂きたいのです。

過信というものは、大変恐ろしいです。

どんなに勉強し、どんなに臨床を重ねても、
全てのクライエント様に、パーフェクトに対応できるかのような錯覚を
決して起こさないで頂きたいと思います。

 

カウンセリングを学ぶのは、何歳でもできます。

また、一般的には、若い頃の方が何にでもチャレンジしやすい。

しかし、カウンセラーという「仕事をする」となりますと、
一転して、若さは、敵となります。

「若い」というだけで、クライエント様から選ばれづらくなるのです。

年の功といいましょうか、
人は、人の年齢で、その人の経験値を計っているところがあります。

50歳くらいの人を見たときに
「この方には高校生くらいのお子さんがおられるのかなー?」と
勝手に想像されるのと同じです。

カウンセリングでは、カウンセラーが紆余曲折を経て何年生きて来ようとも、
自分の経験で話を聴くことはできない、と前述しました。

しかし、若いカウンセラーを見ると、
「この人は、一般の会社に勤めた経験があるのか?」
「この人は、結婚した経験があるのか?」
「この人は、出産した経験があるのか?」
「この人は、子育てした経験があるのか?」

という観点で一般の方が心理士を見ていることも多いのです。

そして「この人は、相談をするにあたって、若すぎはしないか?」と思われ、

「この人は若そうだから、自分の相談をわかってはもらえないのではないか?」と
思われがちになります。

残念ながら、これが現実なのです。

専門的知識を持っているから若くても大丈夫なんですよ、とこちらが言いたくても、
残念ながら、一般の方から見れば、こういう風に思われるのです。

そう思われてしまうことにムキになっているようでは、いけません。

「あなたは子供を育てたこともないくせに!」と言われて
ムキになって言い返しているようでも、カウンセラーとして終わっています。

子育ての悩みを話すのに、自分の子供を産み、
実際に子育てしたことのあるカウンセラーに相談したいと思うのは
しごく当然のことですし、
会社の悩みを話すのに、一般の会社に勤めたことのあるカウンセラーに相談したいと
思うのも、ごく当然のことですし、
夫の悩みを話すのに、離婚経験を持っているカウンセラーに相談したいと思う方も
たくさんおられる、ということです。

クライエント様は、ご不安だからこそ、
自分と同じ経験を持っているかもしれない人を選ぼうとする方が、
たくさんおられるのです。

そうではない方もたくさんおられますが、

同じ経験を持っているカウンセラーになら、
より強く、深くわかってもらえるのではないか?と考えるものなのです。

プロ側からすれば、そうではないのですが、
お客様は、そう思うものなのです。

そういう、一般の方の心理・傾向・ニーズというものを、
わかっているべきです。

そういう観点から見れば、カウンセラーが「若い」というだけで、
圧倒的に不利となります。

外来に座っている若い医師が「お兄ちゃん若そうだけど大丈夫なの?」と
思われがちなのと同じです。

心理士として活躍していくには、
20代よりも、30代、
30代よりも40代以降の方が、圧倒的に有利です。


また、心理士になろうとする方は、
必ず、社会人経験を経てからカウンセラーになるべきです。

普通の会社に勤めたこともないカウンセラーは、
ハッキリ言って、役に立たないと思います。

多くの臨床心理士が、研究し、論文ばかり書いて大学院を卒業し、
そのまま心理士として病院に勤めたり、学校に勤めたりするわけですが、
アルバイト程度しかしたことのない状態でクライエント様と接し、
子育てもしたことがないのにスクールカウンセラーとして勤めることに、
なんの危険も感じないのかな?と考えると、正直、恐ろしいです。

臨床心理士を否定したいのではなく、
これは全ての機関での有資格者に当てはまることなのです。

少なくとも、社会人経験を経て心理士になることを、私は強くお勧めします。

できれば、子育ての経験を持っていると、なおいいです。

男性は、妊娠や出産を経験できなくても、
子育てしたことがあれば、うんと強みになります。

自分の経験してきたことでカウンセリングはできないとはいえ、
このような経験を持っていることは、決して無駄にはなりません。
どのようなことでも、体験して体得してみることは、
カウンセラーとしての知識に拍車をかけていきます。

クライエント様とお話していても、うなずきに、説得力が出てきます。

できたら、精神疾患の理解のため、精神科病棟での研修や、
障害児の理解のため、そういった機関にてボランティアをし、
患者様・子供と直接接した経験を持っていると、なおいいです。

私はこのようなボランティアをするのに、
何年間も費やし、いくら使ったか知れません。

専門知識に加え、専門的な研修をし、社会人として働いた上で、
精神疾患と薬物についてうんと理解していなければなりません。

そして、こういう勉強をしていれば、おのずと歳を重ねているはずです。